亭主関白でストレスが溜まる
何もかも夫より劣っている為亭主関白になってしまいました。
夫は学歴と収入が高く、私は到底追いつけないレベルだし、料理もできて子供を第一に考えてくれるいいパパではあります。
ただ私の事は無関心だし、料理に対しても「美味しい」の一言もこの10年間言われた事がなく、私が子供の勉強を教えられないと鼻で笑うし、宿題の丸つけをしていて「ここ違うよ」と子供に言って教えようとすると子供は拒否して泣くので、夫に
「違うとか否定的な事言わないで」と子供の前でよく注意されます。
私が自己肯定感が低い為否定的な事を言ってしまうのが悪いのですが、夫はそうやって毎回注意するので、子供達も両親の上下関係がわかっています。
「娘が言う事聞かない」と相談すれば「子供は言う事聞かないのが当然だ」とか「息子は育て辛い子供だ」と言えば「育て辛いとかそういう考えは親の都合だ」とか正論で返されるので何も相談できません。
私はただ共感とか共有して欲しいだけなんです。
夫に育児の事を指摘されるとまたかと思って、こっちもつい反抗してしまい「だったら何も言わないから」とか「自分が勉強教えてよ」とか言ってしまいます。
そういう事が続いて夫の事が嫌になってしまい、土日も出掛けてくれればいいのに。と思ってしまいます。
夫がいると子供優先で土日が終わり、テレビも見させてくれないので私はストレスが溜まってしまいます。
夫には友達がいないので出掛けるのは美容院とか車屋ぐらいです。
私は友達がいるのでたまには友達とランチしておしゃべりしたいのに、家族で過ごすのが一番だと言います。
それはそうなんですが、3ヶ月に一度ぐらい友達と遊ぶのもダメなのかと言いたいです。
私は夫が聞いてくれないから誰かに聞いてもらいたいのに、誰かに言ったって解決しないでしょ。と言います。
将来的には離婚したいですが金銭的に厳しいのでどうしたらいいか悩んでいます。
新着コメント ( 7 )
おそらくあなたが自己肯定感が低いのは、夫から認められてきてないからですよ。
褒める夫であれば、自己肯定感はしっかりと上がります。
もっと、認めてほしい。や否定から入らないでほしいと伝えてみては?
※)伝えているかもしれませんが・・・。
しかも、自分が友達がいないから遊びに行けないだけなのに、友人と遊ぶことまで束縛されるとしんどいですね。
コメントありがとうございます。
母親になってから自己肯定感が低くなりました。
その前までは夫も色々褒めてくれたので、自己肯定感が上がっていました。
私が家事育児が得意じゃないから褒める所がないのかもしれませんが、何度か泣いて伝えた事もあります。
その時は「ごめんね。」とか「いつもありがとう。」と言うのですが、一週間もたないです。
恐らく私が出て行かないと思ってナメているのでしょう。
プチ別居良いかもですね・・・。
夫は妊娠中から怒鳴り子供が産まれてからも
子育てを手伝うことなくどなりました子供に
異常が見られ精神疾患をわずらってます周りのひとは子育てに協力してくれませんでした姑が
信心していた創価学会を勧められ祈っていれば
幸せになれると信じて私も入会してしまいました
まだ小さい子供を連れて会館へつれていきました
部屋は別で勤行しました姑に幸せになれるとうそつかれました結婚してから夫は私の味方はしてくれませんでした離婚を考えたけど経済的理由で
できませんでした
自分一人で抱え込んでがまんをしてました
夫に殺意を感じます
大変ですね。
今は子育て忙しいですが、徐々に自分でパートか何か
稼げる何かを見つけることをお勧めします。
あと、創価学会に入って祈っても幸せにはなれません。
どこに入会して祈ろうと個人の自由ですが、
献金には気をつけたほうが良いです。
その分将来自立できるように貯金したほうが
ためになります。
稼げる何かが私にはありません。
パートはしているので経験とスキルでそのうち社員になれるように頑張って行きます。
創価学会は幸せにはなれません。
中学生の頃学会の男性に襲われそうになりました。
父親がよく自宅に連れて来ていた人でした。
それ以来私と母親は信心するのをやめて創価学会から手を引きました。
とても肩の荷がおりて楽になりました。
コメントありがとうございます。
お返事遅くなってすみません。
私の実家も創価学会でした。
両親共創価学会で知り合ったので熱心な信者でした。
母親は鬱病でしたが、父親はノー天気なタイプで母親の事気にも掛けず創価学会の会合に行ったり、学会の人との交流ばかり優先していて家の事も子供の事も何もしませんでした。
私が家を出たら母親の病気はエスカレートして、私が結婚した年に自ら死を選びました。
父親の事は許せませんが、私にも原因があったんだと親になってから思うようになりました。
だから時々私も母親のようになってしまうかもしれないと考えます。
でもその度に母親と同じになったら子供達が可哀想だと思って何とかここまでやって来ました。
生きてさえいればいつか生きててよかったと思える時が来るはずだと信じています。